Machupicchu of KALLPANDINA

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 マチュ・ピチュ遺跡 (ペルー)

 Machu Picchu
(ケチュア語:Machu Pikchu)



イェール大学の歴史家であるハイラム・ビンガムが、1911 年7 月24 日、
この地域の古いインカの道路を探検していた際に、山の上の遺跡を発見した。
ただし最近になり、マチュ・ピチュはすでにペルー人が発見していたという説が浮上
した。それによると、クスコの農場主アグスティン・リサラガが、ビンガムより9 年早い
1902 年7 月14 日にマチュ・ピチュを発見していたという。
真偽のほどは今後検証されるであろうが、ビンガムの息子がその事実を述べられている
ということ、またこの人物について複数の証言があることからも、事実である可能性は
高い。

マチュ・ピチュは、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った高い山の尾根(標高2,430m)に所在する、15 世紀インカ帝国の遺跡である。
多くの言語で "Machu Picchu" と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰、OldPeak」を
意味するケチュア語 "machu pikchu" を地名化したものである。
山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。
この遺跡には3m ずつ上がる段々畑が40 段あり、3,000 段の階段でつながっている。
遺跡の面積は約13km²で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。
熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。

この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都
(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった。遺跡には大きな宮殿や寺院が
王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。
マチュ・ピチュには最大でも一時に約750 名の住民しかいなかったと推定され、
雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。
この都市はインカの王パチャクティ(Pachacuti)の時代の1440 年頃に建設が着手
され、1532 年にスペイン人により征服されるまでの約80 年間、人々の生活が続いて
いた。